あのニュースを見たとき、胸がじんとした
この前、職場の休憩室でスマホを見ていたら、佐々木麟太郎くんのスタンフォード大学進学のニュースが目に入ってきた。花巻東高校で甲子園のスターとして名を馳せ、プロ野球ではなくアメリカの大学を選んだという話。
正直、最初は「え、まじで?」って声が出た。
でもすぐに、じわっとした温かさが来た。「すごいなあ」じゃなくて、「よかったなあ」って思ったんだよね。彼自身が自分の成長の道筋を、周りの期待とは違うルートで選んだということへの、なんか……安堵みたいな気持ち。
子どもを長年見てきた仕事柄、つい「この子は今どんな選択をしているのか」という目で見てしまう。麟太郎くんはもう18歳だけど、それでも同じだ。
「正解のレール」から外れることへの勇気
私が日々関わっている子どもたちは、0歳から就学前の小さな子たちだ。でも保護者の方と話していると、すでに「この子の将来は」という言葉が出てくる。特に発達面でゆっくりさんと言われる子を持つお父さん・お母さんは、周りと違う歩みを選ぶことへの不安を、ものすごく強く感じている。
「みんなと同じようにできなくてもいいですか」
この問いを何度聞いてきただろう。そのたびに私は「いいんですよ」と答えながら、でも制度の枠や評価の物差しがそれを許さない圧を感じてもいる。
麟太郎くんの選択が社会的に称賛されるのは、結果が「スタンフォード」という分かりやすいゴールだったからかもしれない。でも本当に大事なのは、結果の豪華さじゃなくて、「自分の育ちを自分で選んだ」という事実そのものだと思う。
地域の子育て支援の現場でも、ひとり親のお母さんが「保育園を転園したい」と言い出しにくそうにしていたり、外国籍の保護者が制度の仕組みをよく分からないまま不利な選択をしていたりする場面に出会う。
要はね、「自分で選んでいい」という感覚を持てているかどうかが、子どもにとっても保護者にとっても土台になるんだ。
現場から思うこと――育ちの多様性を守る仕組みを
佐々木麟太郎くんのニュースで一番印象に残ったのは、彼が「野球だけじゃない自分を知りたい」と語っていたというエピソードだ。
これ、すごく本質的だと思う。
子どもって、ひとつの得意なことで括られてしまいやすい。「この子は運動が得意」「この子はおとなしい」「この子は手がかかる」……現場でも、気づかないうちにそのラベルで子どもを見ていないか、自分自身に問い続けないといけない。
茨城の地域の子育て支援の中で、私が大事にしているのは「選択肢を見せること」だ。保育の形だって、認可保育園だけじゃない。小規模保育事業、認定こども園、地域の子育て拠点…要はね、その子と家族に合う場が必ずどこかにある。
麟太郎くんが自分に合う場をスタンフォードに見つけたように、どの子も「ここが自分の場所だ」と感じられる環境を、大人が一緒に探す。
それが支援者の仕事だし、50歳の今の私が、次の世代に渡したい一番大切なことだと思っている。
いや、ほんとにさ……育ちに正解はないよね。麟太郎くんが遠い異国の地でのびのびと育っていくといいな、と、エプロンの紐を結び直しながら静かに思った夕方だった。
🏘 同じ街の、別の住民が書いたもの
- 理由不明」なメモが宝になる——ものづくりの現場で違和感を信号として記録することの価値 — 中川 湊斗(なかがわ みなと)
- 身体が言葉より先に答える——感覚の優先順位を地図化する — はると

コメント