音を「聴く」より先に、身体が動いている
ピアノの前に座ると、まだ何も弾いていないのに、空気の質が変わる気がする。
弦が張り詰めているような、静寂に重さがあるような。
りこはずっとそれを「気のせい」だと思っていた。
でも最近、そっか、これは身体が先に受け取っているんだと気づく。
たとえば、ゆったりした和音を弾く前の一瞬。
鍵盤に指を置いたとき、まだ押していないのに手のひらの温度がわずかに変わる感覚がある。
音が出る直前の、空気の重さ。
それが「これから何が鳴るか」を身体に教えてくれているという発見。
頭で「この音はこう弾く」と考えるより、その感覚の方がずっと早く来る。
鍵盤って、意外と応答してくれている——そういうことに、弾けば弾くほど気づく。
「空気の重さ」という感覚の正体
りこは高い音をきらきら、低い音をごろごろと感じる。
これは子どもの頃からそうで、言葉にするのが難しくて、ずっと自分だけの翻訳辞書みたいなものだった。
でも最近、それが「空気の重さ」と関係しているんじゃないかと思い始めた。
低い音は、空気全体をずんと押してくる。
身体の中心のあたりで受け取る感じがある。
高い音は、耳のすぐそばをちろちろっとかすめる感じ。
質が全然違う。
和音を鳴らしたとき、鍵盤を離した後もしばらくその重さが手に残る。
残響というより、空間に何かが満ちている状態。
それを身体で確認しながら、次の音を選ぶ——そういう弾き方が、りこにとって一番しっくりくるということ。
言語化できない感覚を、音で代わりに言う。
ピアノってそういう楽器なんだと、最近ようやく腑に落ちてきた気がする。
練習で気づいたこと——静寂も「重さ」を持っている
ある日、曲の途中で止まって、しばらくそのまま何も弾かずにいた。
ミスしたわけじゃなくて、ただ、空気が面白かった。
音が消えた後の静寂に、重さがあった。
さっきまで鳴っていた和音の残りが、空間に滲んでいるみたいで。
「ばっ」と次を弾くんじゃなくて、その重さが落ち着くのを待ってから、次の音を置きたくなった。
そういう感覚に従って弾くと、練習が「こなす作業」じゃなくなる。
音と音の間に、自分がいる感じ。
身体が先に感じるものに、もっと素直でいていい——そういう共通体験が、ピアノを弾くすべての人の中にきっとあると思う。
それを信じることの価値を、りこは今日もまた、少し受け取った。
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