あのね、傷って消さなくていいんだ
工房に古材が届くたびに、そうすけはまず手で触る。
表面をゆっくりなぞると、釘の跡がぼこっとある。削れた角がある。誰かの鉋かな、それとも長年の荷重かな——そういうでこぼこに指が引っかかるたびに、「これなんで?」って気持ちが湧き上がってくる。
最初は、傷を消すことが「正しい仕事」だと思っていた。父の工房に転がっていたサンダーで、ひたすら表面を均す。ぴかぴかになると達成感があった。でも父がある日、手を止めてこう言った。「そうすけ、この焦げ跡、どこで何をしてた材だと思う?」
その問いで全部変わった、といまのそうすけは気づいている。
傷は記録だ。木が生きていた時間の、そして人の手に渡ってからの時間の、両方が重なった記録。消すと、その木は「匿名」になる。でも残すと、木に固有の名前が戻ってくる感じがする。
「残す」と「活かす」はちがう、という発見
残すだけなら簡単だ。ただ磨かなければいい。
でも活かすには、傷の「意味」を読むところから始まる。そうすけが最近手がけた古材は、農家の納屋の床板だった。節が大きく、干割れが三本、踏み込んだ跡が幾重にも重なっている。
最初に考えたのは、この干割れを「弱点」として補強するか、「デザイン」として前に出すかだった。素材と対話する感じで——割れの幅を指で測り、光の入り方を変えながら眺めた。
選んだのは、割れに沿って細い真鍮の埋め込み線を走らせることだった。「金継ぎ」の木工版みたいなイメージ、といえば近い。割れを「修復した跡」として見せるのではなく、「ここに時間が走っている」という線として見せる方向に行き着いた。
踏み込んだ跡は、あえて少しだけオイルの濃度を変えて仕上げた。明るいところと沈んだところが混在する、まだらな深みになった。それが「使われていた証拠」として、手触りにも表情にも残っている。
傷を活かすと、木が「はじめて正直になる」気がする
新しい木は、まだ何も知らない。
古材は、知っている。荷重を、温度差を、誰かの足の癖を、長い暗闇を。そのぜんぶが繊維の中に入っている。それを引き出す仕事が、そうすけにとっての「古材を使うこと」の核心に行き着いた。
傷を消さずに残すと、木は「なおされた」んじゃなくて「そのまま前に進んだ」ように見える。使う人もきっと、その木が重ねてきた時間を少しだけ引き継ぐことになる。
それってなんか、なまらいいと思う。
素材と正直に向き合うと、自分のやることも自然と正直になる——そうすけが古材のそばで毎回気づかされる、という問いで終わる。
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