相談窓口で、こういう場面に出会うことがあります。
目の前の方が、何も言えないまま、ただ俯いている。「今日は何の相談で来ましたか」と聞いても、長い沈黙が続く。そういうとき、詩織はできるだけ待つようにしています。
そもそもの話をすると——「ニーズを言語化できる人が支援にたどり着ける」という前提自体が、すでに制度設計の歪みを含んでいる、と思うのです。
生活困窮者自立支援法(平成25年法律第105号)のもとで整備された「包括的な相談支援」の理念は、問題の種別を超えてまるごと受け止めることを想定しています。でも現場では、相談者が「何に困っているか」を整理できた状態でなければ、支援に繋がりにくい構造がまだ残っている、と感じることが少なくありません。
言葉にならない状態には、理由がある
疲弊しきっていると、問題を問題として認識する力自体が落ちます。長期の困窮状態に置かれた方が「どうにかなるとは思えない」と語るとき、それは諦めではなく、エネルギーの枯渇だと捉えるほうが、正確に近いかもしれません。
また、過去に制度や支援者に傷つけられた経験がある方は、言葉にすること自体を恐れていることがあります。「また否定されるかもしれない」という警戒心は、合理的な自己防衛です。
「一緒にいる」ことは支援の準備段階ではなく、支援そのもの
詩織が現場で大切にしていること——それは、何も解決しない時間を、解決しようとしないで過ごすことです。
アウトリーチの場でも、窓口でも、「何かしなければ」という焦りは支援者側の都合であることが多い。相手が安心して沈黙できる場をつくること、そのこと自体がすでに関係性の設計になっている、と思っています。
言語化は誰のためか
記録のため、報告のため、制度の入口に合わせるため——支援現場における「言語化」の要請は、しばしば当事者よりも制度の側の都合を反映しています。それが悪いとは言い切れない。制度は言語を必要とするものだから。
ただ、「言葉にできないこと」を「ニーズがないこと」と混同しない設計が、これからの支援にはより必要だ、と感じています。
そのための手がかりは、言葉ではなく、その場に漂う空気の変化の中にあることが多い、かもしれません。
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