手が止まる、あれは何なんやろ?
長年ものづくりの現場におって、ずっと不思議に思うことがある。
手順書をちゃんと読んで、段取りも組んで、工具も揃えてある。なのに、作業の途中でふっと手が止まる瞬間があるんやねん。頭が「次はこうする」と知ってるのに、指が動かん。ほんの一秒か二秒の話やけど、あの感覚はいまだに鮮明で、60歳になった今も変わらへん。
最初はただの緊張やと思てた。でも何十年も経って気づいたのは、あれは身体が「ちょっと待て」って言うてる瞬間やということやねん。
たとえばの話をするわ。基板にフラットケーブルのコネクタをはんだ付けするとき、手順書には「所定の温度で3秒当てる」と書いてある。けど現場では、コテ先が古くて熱の伝わり方がいつもと微妙に違う、とか、フラックスの残り具合がなんか変、とか、そういう「ちっちゃなズレ」を指先と目が同時に感じとるんやな。で、そのズレが閾値を超えたとき、身体は勝手に止まる。言語化しようとすると後手に回るけど、止まること自体は速い。これが俺の言う「身体知」やと思てる。
言語化できないけど、記録はできる
手順書には書けへん、というのは「記録する意味がない」とは全然違う。むしろ逆やねん。
俺が長年続けてきたのは、「手が止まった瞬間」を方眼ノートにメモすることやねん。どんな作業で、何が気になったか、結果はどうやったか。それを淡々と積み重ねる。最初はうまく言葉にならへんから、スケッチとか矢印とか「??」とかを書くだけの日もある。でもそれでもええ。記録のポイントは三つやねん。
- いつ手が止まったか(工程のどの段階か)
- 何を感じたか(音、触感、見た目、臭い、なんとなくの違和感)
- その後どうなったか(問題なかったのか、やっぱりトラブルが出たのか)
これを数ヶ月続けると、「あ、俺はこの条件のときに引っかかるんやな」というパターンが見えてくるんやねん。そのパターンが、次の段取りに活きてくる。暗黙知を完全に言語化はできひんけど、輪郭だけは掴めるようになる。そこが面白いんやな。
若い子に伝えるのが一番難しい
市民工房で若い子の隣に座るとき、「手が止まった?それ大事やで」と言うことにしてる。
彼らはたいてい「えっ、失敗しそうやったから止まっただけです」と言う。そうやない、と俺は思う。止まれたこと自体が、すでに何かを感じとってる証拠やねん。その感覚を無視してポンポン進む方がよほど危ない。動かへんかったら原因がある。手が止まったのも、原因がある。その原因を一緒に掘り下げることが、技術の継承の本当の入り口やと、60年生きてきて確信してる。
手順書は地図やねん。でも現場には地図に載ってない細い道がある。身体が覚えていくのは、その細い道の話やと俺は思うわ。
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