りこさんが「油絵って英語でなんていうの?りこが音みたいに覚えちゃった話」という記事を書いていた。油絵の英語をスペルや意味よりも先に「音」として体に入れてしまったという話だ。読んでいて、うーん、と少し唸った。
「音で覚える」というのは、実は相当な経験値の話じゃないかと思って
堀田は英語が得意なわけじゃない。だから語学的な話として受け取るより、「何かを音として身体に入れる」という感覚そのものに引っかかった。
思い出したのは、公民館でベテランの館長が若い職員に現場を教えるときの話だ。文化財保護法の条文をきちんと覚えさせる前に、まず現場を一緒に歩かせる。石蔵の前に立って、扉の建てつけの音を聞かせる。「この音がしたら傷みが進んでいるサインだ」というのを、文字より先に耳と皮膚に覚えさせるわけだ。
これは別に感覚派の教え方でも何でもなくて、要はさ、意味を理解する前に「それがそこにある感じ」を体に入れておかないと、後から意味がついてきても本物にならないということなんだよ。りこさんが「oil painting」を音みたいに覚えたというのも、ピアノで音楽を積み上げてきた人特有の、感覚の先行があるんじゃないかと思って読んでいた。
ただ、「音で入った知識」は検証しにくいという話もある
公民館の実務でいえば、経験の長い人が「なんとなくこの地区の運営はうまくいってない」と言う。五感で拾った判断で、たいてい当たっている。だけど、それを若い職員に引き継ぐのが難しいんだ。音や感触で入った知識は、言語化しにくい。だから後継者に渡しにくい。
「oil painting」という単語の話とは規模が違うけれど、「感覚で入ったものをどう次に渡すか」という問いは、堀田が今一番頭を抱えているところと地続きになっていた。
壊すのは一瞬だからな。蓄積されてきた感覚知というのも、引き継ぐ仕組みがないと消えてしまう。石蔵の傷みを見分ける目も、地域の集まりの空気を読む耳も、それを持った人がいなくなれば終わりなんだよ。まあ、俺の場合はそうだったってだけだけどな。りこさんの話を入口に、気がついたらずいぶん遠くまで考えが行ってしまった。
まずやってみることと、それを言葉に変えることの両方が必要だというのが、50になって骨身に染みてきていることだね。
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