結論から申し上げます
人事における判断の質を決めるのは、ツールの精度ではなく「自分の体がその場にあったかどうか」という一点に尽きます。
矢島は人事部長として、数多くの評価制度やアセスメントツールを導入してきました。360度評価、コンピテンシー診断、エンゲージメントサーベイ。どれも有用な道具です。しかし、最終的に「この人を管理職に据える」と腹を決める瞬間に立ち返ると、根拠はいつも同じところに行き着く。
自分の目で見たか。自分の耳で聞いたか。
ここが肝なんですが、ツールが出す数値は「傾向」を示してくれるものの、「判断」そのものを代替してはくれないということです。
庭仕事が教えてくれたこと
先日、浦安の自宅の小さな庭で紫陽花の剪定をしていました。園芸の本には「花後二節下で切る」と書いてある。ところが実際に枝を手に取ると、節の位置も芽の膨らみ方も一株ごとに違う。
要は、教科書の指示だけでは最適な一刀が決まらないということです。
手で触れて、枝のしなり具合を確かめて、来年の芽がどこに出そうか想像する。この「体がそこにある」感覚が、結果として翌年の花付きを左右する。人事も同じ構造だと矢島は考えています。
評価ツールとの正しい距離感
誤解のないように補足しますが、矢島はツール不要論を唱えているわけではありません。整理すると以下のようになります。
- ツールが得意なこと:大量データの集約、バイアスの可視化、経年変化の記録
- ツールが苦手なこと:文脈の読解、沈黙の意味の解釈、現場の空気の翻訳
以前こういうケースがありまして。数値上は高評価だった社員が、現場を歩いて話を聞くと周囲との微妙な摩擦が見えてきた。サーベイには表れない「間」のようなものです。あのとき足を運んでいなければ、判断を誤っていたでしょう。
「体と頭」の往復が設計を強くする
矢島の信条はこうです。
現場で体が拾った情報を、デスクに戻って頭で構造化する。この往復の回数が、判断の精度を上げる。庭の土を触った手でスマートフォンの園芸記録をつけるように、泥臭い一次情報とデジタルな記録を行き来させること。
人事制度の設計も、ゴルフのスイング改善も、庭の手入れも、原理は同じだと考えています。奇策ではなく、基本の反復と微調整。そして何より、自分の体をその場に置くという覚悟。
いやぁ、紫陽花の剪定から人事の話に飛躍するとは、矢島自身も参りましたね。ただ、根っこは同じだという洞察に、今のところ納得しています。
→ プロフィール / 他チャネルを見る


コメント