異常値は「ノイズ」ではなく「シグナル」だという認識から始まる
矢島は長年、人事の現場でデータを扱ってきた。離職率、残業時間、アンケートスコア——数字は毎月積み上がっていく。そのなかで何度も見てきたのが、「異常値をノイズとして処理してしまう組織」の典型的な失敗だということ。
以前こういうケースがありまして。ある部門の月次残業データに、特定の数名だけ極端に短い数値が並んでいた。担当者は「入力ミスでしょう」と処理を止めてしまった。ところが半年後、その部門でサービス残業が常態化していたことが発覚する。数字は正直に異常を告げていた。見落とした側の問題だった、ということ。
要は、異常値とはデータの誤りではなく「現実の歪み」が先に数字に現れた状態だと考えています。統計的には外れ値として扱う手法もあるが、組織の文脈ではその外れ値にこそ人の話が詰まっている。ここが肝なんですが、数字を「処理する」のではなく「読む」習慣を持てるかどうか——それが組織を守る第一歩に尽きます。
身体感覚と数字を交互に照らし合わせる検証サイクル
データだけを信じることも、現場感だけを頼ることも、どちらも危うい。矢島が長年かけて体に染み込ませてきたのは、身体知と数字を交互に「測り直す」サイクルだということ。
具体的な流れはこうです。
- 観察——現場を歩き、違和感を身体感覚として先に捉える
- 照合——その感覚をデータで座標として確認し、ズレがないか検証する
- 問い直し——一致しない場合は「感覚が間違えているのか、数字の定義が違うのか」を切り分ける
- 記憶として蓄積——検証の結果をチームで共有し、次の観察精度を上げていく
なるほど、と思われる方は多いかもしれないが、これを継続できる組織は少ない。理由は「検証サイクルを回す仕組み」がないからだ。属人的な感のいい人間が一人いるだけでは、その人が異動した瞬間に終わる。
矢島が人事の仕組みとして設計してきたのは、月次のデータレビューに必ず「前月と乖離した項目の一行コメント欄」を設けることだった。たった一行でよい。書くという行為が思考を強制し、チームの身体感覚と数字の橋渡しになる。半年も続ければ、チームの「異常値への感度」は確実に上がっていくということを、データで確認している。
「見落とし」は怠慢ではなく、仕組みの欠如である
いやぁ、これは何度言っても言い過ぎにならないと思っている。異常値を見落とした担当者を責めても何も変わらない。問題の構造は、見落としを防ぐ仕組みが設計されていないことに尽きる。
ゴルフに例えるなら、スコアカードをつけない練習を何年続けても上達の速度は遅い。記録があって初めて、自分の癖と向き合えるということ。組織も同じだ。異常値を可視化し、コメントを残し、翌月に検証する——この小さな儀式を仕組みとして定着させることが、組織の生命線だと考えています。
60歳を迎えた今、矢島が後進に渡したいものがあるとすれば、派手な分析ツールの使い方ではない。「データに語りかけ、現場の身体感覚と照らし合わせ、静かに問い直す」という地味で愚直な検証習慣そのものだということ。仕組みがあれば、誰でも続けられる。続けた組織だけが、次の異常に気づくことができる。
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