結論から申し上げます
人事制度の設計において最も難しいのは、現場が「なんとなく感じている違和感」を制度の言葉に翻訳する作業です。矢島はこれを「身体知の言語化」と呼んでいます。
ここが肝なんですが、優れた制度は数字だけでは作れない。かといって、感覚だけでも成り立たない。この両者を統合する力が、制度設計者には求められるということです。
なぜ「感覚」が置き去りにされるのか
制度設計の現場では、どうしても定量データが優先されます。評価スコアの分布、離職率、エンゲージメントサーベイの数値。これらは判断の土台として不可欠です。
しかし、以前こういうケースがありまして。ある部署の離職率は社内平均と同水準だったにもかかわらず、現場のマネージャーが「何かがおかしい」と訴え続けていた。数字上は問題なし。けれど半年後、その部署からエース級が3名連続で退職した。
要は、数字に表れる前の「兆し」を捉える感覚——これが身体知です。
言語化のための三つの手順
矢島が実務で意識している手順を整理します。
- 観察の記録を残す:面談や現場巡回で感じた違和感を、その日のうちにメモする。「Aさんの声のトーンが低かった」程度で構わない
- パターンを探す:記録が溜まると、共通する傾向が浮かび上がる。個別の印象が「構造」に変わる瞬間です
- 制度言語に接続する:見えたパターンを、評価基準や等級要件の文言に落とし込む。ここで初めて仕組みとして機能する
この三段階を経ることで、属人的な勘が再現性のある設計に変わるということです。
庭仕事から得た洞察
少し話が逸れますが、最近休日に自宅の庭をいじる時間が増えました。土の状態を手で触り、葉の色を見て、水やりの量を微調整する。マニュアル通りにやっても枯れる株がある一方、感覚で手を加えた株が思いがけず育つ。
いやぁ、これは参りましたね。庭仕事と人事制度設計は、驚くほど似ている。
体と頭の両方を使い、観察と記録を積み重ね、微調整を繰り返す。奇策ではなく基本の反復が成果を生む。矢島の信条そのものが、小さな庭に映し出されていた。
最後に
現場の感覚を軽視する制度は、やがて形骸化します。逆に、感覚だけに頼る組織は属人性から抜け出せない。両者を橋渡しする「言語化」の技術こそが、人事制度設計の核心だと考えています。
地味な作業です。けれど、組織を支える仕組みとは本来そういうものに尽きます。
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