孫みたいな選手を応援しに、博多の森へ
うちの子どもが社会人になってから、なんかさ〜、急にスポーツ観戦に興味が出てきたんよね。子育て中はそんな余裕なかったし、サッカーといえばテレビでワールドカップをちらっと見るくらいやったんやけど。
先月、菜園仲間の田中さんに誘われて、アビスパ福岡の試合を初めてちゃんと観に行ったっちゃけど。博多の森球技場に入った瞬間、あの緑のピッチの鮮やかさにちょっと息をのんだ。「こんなに綺麗なんや……」って。手入れされた芝が、畑仕事してる者の目にはもう、なんていうかな、光って見えるっちゃん。
試合中、うちがしてたのは観戦というより、スケッチブックに手描きの絵日記をつけること。選手の動きとか、ハーフタイムの売店のサバの唐揚げとか、隣に座ってたおじさんの後頭部とか(笑)、思いつくままに描いてたんよね。老眼鏡をかけながらの細かい描き込みはきつかったけど、見えた景色をそのまま残したくて。
「言語化しようとするほど何かが抜け落ちる」を体で感じた日
絵日記をつけながら気づいたんやけど、サッカーって、文字で記録しようとするとどんどんこぼれていくんよね。「○分に○番が得点」って書いたら確かにそうなんやけど、そのとき自分がスタンドで思わず立ち上がった感じ、隣の田中さんとぶつかって笑ったこと、そういう身体ごと感じた記憶は、ぜんぜんそこに入らん。
絵だとね、うまくなくていいから、その瞬間にあったものを全部一枚に押し込めるんよ。ぐちゃっとしたラインでもいいし、色が変でもいい。うちが描いたのはほんとに素朴なもんで、選手の顔なんかぜんぜん似てないんやけど(笑)、見返すとあの日の風と声の記憶がちゃんとよみがえってくるんよね。
子育て中も、子どもの寝顔をスケッチブックに描いてた時期があって。写真と違う何かが残ると気づいてたけど、サッカー観戦でもおんなじ感覚だったのがちょっと嬉しかったな。
「観戦の楽しみ方」は一個じゃなくていい
試合帰り、田中さんに「ずっと描いてたけど、試合見れてた?」って聞かれたんよ(笑)。見てた、見てた、ちゃんと見てたよ!でも確かに、勝敗よりも「あの瞬間の空気」を手元に残したい気持ちのほうが強かったかな。
観戦にも色んな楽しみ方があっていいっちゃない?って思う。戦術を語る人、声を枯らして叫ぶ人、ビール片手にのんびり眺める人。うちは絵日記おばさんでいい。
次の試合も誘ってもらえたから、今度は試合前の練習風景も描いてみたいなって思っとう。スタンドに持っていく色鉛筆を、もうちょっと本数増やさんといかんね。
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