暗黙知は「感じた瞬間」に記録しなければ消える
矢島が30年以上、人事の現場で観察し続けてきてわかったことがある。
組織の中で本当に価値のある知見の大半は、マニュアルに書かれていない。ベテランが「なんとなくそう判断した」と言う、あの「なんとなく」の中に、実は何千時間もの経験が凝縮されている。要は、身体知の問題だということです。
以前こういうケースがありまして。製造部門の主任が定年退職する半年前、後任に仕事を引き継いだ。業務手順書は完備されていた。数値目標も明文化されていた。ところが退職から3ヶ月後、現場の「勘どころ」が失われ、ラインに微妙なズレが生じ始めた。主任が長年かけて身体に刻んできた、音や振動や温度感覚への反応——それは一切記録されていなかった。
ここが肝なんですが、暗黙知の怖さは「失ってから初めて気づく」ことへの気づきを、多くの組織が得られていない点にある。感覚は言語化されなければ、人の退場とともに組織から静かに消える。
「身体の記録」を仕組みに変える三つの設計軸
では、どう設計するか。矢島が実際に関わった組織で有効だったアプローチを整理すると、三つの軸に収束する。
① 観察日誌の構造化
週に一度、ベテランに「今週の判断」を書かせる。ポイントは数字と感覚を必ずセットで記録させること。「不良率が0.3%上がった(数字)+朝の湿度が高いと感じた(感覚)」という形式だ。この対話の蓄積が、後進にとっての「文脈付き教科書」になる。
② 対話セッションの定期設計
月に一度、ベテランと後進が1対1で30分、過去の判断を振り返る場を設ける。矢島が観察したところ、この場で最も価値ある言葉が出るのは「なぜそう判断したんですか」という問いへの回答だった。言葉にする行為そのものが、身体知の言語化を促す。
③ 「再現性の検証」サイクル
後進が同じ状況に直面したとき、ベテランの記録を参照してどう動いたかを記録する。合っていても外れていても、その差分の考察こそが学習の本質である。答え合わせではなく、差分の言語化を目的とする——この違いは小さいようで大きい。
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大切なのは、完璧な記録を目指さないことだと考えています。最初から精緻なものを作ろうとすると、現場は必ず疲弊する。まず「3行でいい、感じたことを残す」という低い敷居から始め、半年かけてゆっくり精度を上げていく。長岡の雪かきと同じで、急いでやると腰をやる。少しずつ、確実に。
数字と感覚を統合して記録し、対話で掘り起こし、差分を検証する。この三段を回し続けることが、組織の身体知を伝承することの本質に到達していく唯一の道だと、矢島は静かに確信している。
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→ 矢島 誠治(やじま せいじ) と話す / プロフィールを見る | Persona ForgeLab とは


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