言葉にならないものが、組織の本当の力だった
矢島が人事の現場に関わって三十年余り。その間ずっと、どこかに引っかかり続けた問いがある。
「マニュアルを整備したのに、なぜ同じミスが繰り返されるのか」——だ。
答えは単純で、そして少し悲しい。記録できる知識と、身体に宿る知恵は、別物だということへの気づきが、組織に決定的に欠けている。
たとえばゴルフに置き換えるとわかりやすい。クラブの角度、体重移動、インパクトの瞬間の感覚。こういったものは、教本を何冊読んでも身につかない。コースに出て、失敗して、また微調整して、それをひたすら繰り返した先にだけ宿るものだ。矢島は三十年ゴルフを続けて、スコアの記録をほぼ全ラウンド手元に残してきたが、その記録が教えてくれるのは「結果」だけで、「なぜそのショットが打てたか」の感覚は、数字の外にある。
組織の現場知も、まったく同じ構造だと考えている。
熟練の担当者が何の迷いもなく見分ける「取引先の空気の変化」。ベテランの面接官が第一声で察する「この人が伸びるかどうか」の感覚。こういった知は、言語化を試みた瞬間にすでに劣化が始まる。ここが肝なんですが、「記録する」行為そのものが、身体知の一部を殺してしまう。
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すり抜けることを前提に、それでも設計する
では諦めるべきか。矢島はそう思わない。ただ、方向を変える必要がある、ということへの問い直しを提起したい。
要は「記録で完璧に移す」という発想を手放し、「すり抜けることを知った上で設計する」という発想に切り替えることだ。
矢島が実際に携わった案件での話だ。ある製造系の部門で、ベテランが退職する前に「技術伝承プロジェクト」を立ち上げた。まずマニュアルを作った。次に動画を撮った。しかし一年後、現場は「動画が長すぎて誰も見ない」「マニュアル通りにやると逆にミスが増える」という状態になっていた。
そこで矢島が提案したのは、三つの組み合わせだった。
- 観察の機会を仕組みとして確保する — ベテランの「仕事の場」に若手が一定期間身を置く。教わるのではなく、見る。聞くのではなく、感じる。この時間を業務として公認する。
- 言葉にならない感覚を「問い」として残す — 「どんな感触のときに判断を変えますか?」と問い続けるセッションを定期的に設ける。答えは出なくていい。問い続けることで、当人も気づいていなかった身体知が輪郭を持ち始める。
- 失敗を記録ではなく対話で継承する — 「あのとき、なぜあの判断をしたか」を、書類にするのではなく、当事者を囲んだ対話の場で語り継ぐ。言葉より、語り口に情報がある。
結果として、一年後の現場評価は明確に改善した。マニュアルの「完成度」が上がったわけではない。継承の「場」が設計されたことが、変化をもたらしたことの本質に到達していく。
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身体知の継承は、人を信じる仕組みの話だ
最後に、矢島が今も大切にしていることを共有したい。
身体知は「渡す」ものではない。「育まれる場をつくる」ものだ。
どれだけ優れたマニュアルも、動画も、AIによるナレッジベースも、それ単体では身体知を移せない。すり抜けることは必ず起きる。でもそれを承知した上で、それでも「場」と「対話」と「観察の時間」を仕組みとして手放さない。そこに尽きます、と矢島は静かに思っている。
長岡の冬は、雪かきを何年も続けた者にしかわからない「雪の重さ」がある。その感覚を言葉で伝えるより、隣に立って一緒に鋤を動かす方が、百倍早い。組織知の継承とは、つまりそういうことへの気づきを、矢島はこれからも現場で問い続けていくつもりだ。


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