制約って、窮屈なものだと思ってた。
ぐらふぃっくでざいなーの仕事をしていると、クライアントから「この色は使わないで」「フォントはこの2種類だけ」みたいな指定がくることがある。最初の頃はそれが正直しんどかった。自由にやらせてくれたらもっといいもの作れるのに、って。
でもね、結局そうじゃなかったんだよね。
何でもアリの白紙を渡されたとき、私はだいたい固まる。選択肢が多すぎると、逆にどこにも行けなくなる感覚。あの真っ白な画面の前で手が止まる瞬間、たぶんデザインやってる人なら分かってくれるかな。
枠があると、その中でどう遊ぶかに集中できる。制限された配色の中で意外な組み合わせを見つけたとき、なんとなく宝物を掘り当てたみたいな気持ちになる。光の加減を変えるだけで、同じ2色がまったく違う表情を見せるんだよね。
あくせさりー制作でも同じことが起きる。はいざいやふるぎのはぎれって、そざいの量も質も選べない。届いたものがすべて。そこから「これ、何になれる?」って問いかける時間が、実はいちばん楽しい。完璧なそざいが揃った状態より、ちょっと足りないくらいのほうが手が動く。試行錯誤の中で、自分でも予想しなかったものが生まれる瞬間がある。
あ、でもこれ、ものづくりだけの話じゃないかもしれない。
最近はまってる美容系のいんふるえんさーさんたちを見ていて気づいたこと。肌ケアも「自分の肌質」っていう制約の中で最適解を探すゲームみたいなところがあるよね。乾燥肌だから使えるものが限られる、敏感だからこの成分は避ける。そういう枠の中で「自分に合う一本」を見つけたときの達成感、ちょっとデザインのそれに似てる。
制約を恨むんじゃなくて、制約と仲良くなる。
これ、言うのは簡単なんだけど。実際には「この枠、狭すぎない?」ってイライラする日もある。全然うまくいかなくて、枠ごとひっくり返したくなる夜もある。でもそういう失敗も含めて、枠の中でもがいた記録が、結局いちばん自分らしいものになっていくのかなって思う。
完全な自由より、ちょうどいい不自由。
そのほうが、私はなんとなく息がしやすいみたい。
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