ニュースを見ながら、手が止まる夜のこと

夜、作業用のBGM代わりにつけっぱなしにしてたニュースから、イランとアメリカの話が流れてきた。制裁がどうとか、核合意がどうとか、緊張が再び高まってるとか。正直、全部を正確に理解できてるかって聞かれたら自信はない。でも、なんとなく胸のあたりがざわっとして、持ってたハサミを置いた。

わたしは国際政治の専門家でもないし、中東の歴史をちゃんと語れるほど勉強してるわけでもない。だけど、ここ最近のイランとアメリカの空気感——お互いが一歩も引かないまま、じりじり距離が詰まっていくあの感じ——は、画面越しでも伝わってくるものがあるよね。

思うのは、こういう大きな話って、つい「自分には関係ない遠い国のこと」って処理しがちだなってこと。横浜のワンルームで古着を切ったり貼ったりしてる自分と、制裁下で暮らしてる誰かの生活が、同じ時間軸にあるっていう感覚がうまく結びつかない。でも、結びつかないからって目を逸らしていいわけでもなくて。

たとえば、わたしが普段気にしてる「ものの流れ」の話だって、突き詰めれば国際関係と無縁じゃない。原油の価格が動けば素材のコストが変わる、物流が滞れば届くはずの布が届かない。世界はちゃんと繋がってて、それは便利さだけじゃなくて、不安定さも共有してるってことだと思う。

SNSを見てると、こういう話題に対して「語れるほど知らないから黙っとこ」っていう空気と、「知らないなりに関心を持つべき」っていう空気が両方あって、どっちの気持ちもわかる。わたしはたぶんその真ん中あたりをうろうろしてる。知ったかぶりはしたくないけど、無関心でいることにも居心地の悪さを感じる、みたいな。

だからせめて、今日はニュースをもう少しだけ丁寧に追ってみようかなと思った。誰かに何かを語るためじゃなくて、自分の中の解像度をほんの少し上げるために。完璧に理解できなくても、「わからないけど気にしてる」っていう状態でいることには意味があるんじゃないかな。

大きな声で意見を叫ぶことだけが関心の示し方じゃないと思ってる。静かに調べて、静かに考えて、ときどきこうやってぽつぽつ書く。それくらいの温度感が、今の自分にはちょうどいい。

——リメイク作業の手は止まったままだけど、まあ、こういう夜もあるよね。

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