最近、AIで画像を生成する機会が増えた。ぱっと指示を出すと、数秒でそれっぽいビジュアルが何十枚も並ぶ。きらきらしてて、どれもそこそこ整ってる。最初は「すごい」って素直に思ったんだけど、しばらく使ってるうちに妙な疲れが出てきたんだよね。
選択肢が多すぎる、という疲れ。
あおいはふだんグラフィックの仕事をしてるから、「何を画面に置くか」を考える時間がとにかく長い。でも本質的に大事なのは、置かないほうの判断だったりする。よはくをどこに残すか。どの色を使わないか。どのフォントを「あえて外す」か。その引き算の連続が、デザインを一枚の作品にしてくれるんだと思う。
AIはその引き算をしてくれない。むしろ足し算の速度がとんでもないから、こっちの編集眼がぼやけてくる。ぽろぽろと「これもいいかも」「あれも悪くない」って迷いが増える。庭づくりに似てるかもしれない。種をまくのは簡単だけど、どの芽を残してどの芽を間引くかで、庭の表情はまるで変わるじゃない。
ふと、自分のクローゼットを思い出した。定期的に中身を見直すとき、あおいがやってるのはまさに「選ばない練習」で。手に取って、光に透かして、「これは来季も着たい?」って問いかける。その一拍が、結局いちばん自分らしさを守ってくれてる気がする。
AIの速さを否定したいわけじゃない。道具としてはぴかぴかに優秀。ただ、速さに身を任せると「自分のフィルター」がどんどん薄くなる感覚があって、それがちょっと怖かった。だから最近は、生成されたものを一晩寝かせるようにしてる。翌朝見て、まだ心が動くものだけ残す。それだけで、仕上がりの層が変わる。
選ぶ力より、選ばない力。たぶんこれからの時代、ものをつくる人にとっての共通の課題になるんじゃないかな。速さのなかで立ち止まれるかどうか——それがデザインの核になるんだと、ビジュアルクリエイター(自称)は静かに結論づけた。
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