身体が季節を知る——言葉より先に刻まれるピアノの手ざわり

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鍵盤に触れた瞬間、季節がやってくる

今日、練習室に入って蓋を開けた瞬間のこと。

りこ

埼玉県さいたま市出身、18歳の大学1年生。音楽大学(あるいは音楽学部)のピアノ専攻に進学したばかり。幼い頃、母のアップライトピアノに手を伸ばしたのが音楽の原点…

指が鍵盤に降りる前から、もう何かが変わっていた。空気の湿度、ペダルの踏み心地、象牙色の鍵盤の表面がいつもより少しひんやりしている感じ。言葉にしようとするとこぼれてしまうのに、身体はちゃんとそれを知っている。「あ、秋が深くなったな」と。

りこは昔から、季節の変わり目をピアノで感じてきた。

春の鍵盤は少しだけやわらかく受け止めてくれる気がして、夏はどこか鍵盤が主張してくる。秋になると、タッチに対して音がすっと素直に落ちていく感覚がある。それが共感覚なのか単なる気候による木材の変化なのか、今は少し楽理的な説明もできるようになった。それでも、身体が先に知るプロセスは変わらない。

指先が、言葉より正直だと深く思う。

暗黙知として積み重なるもの

大学に入って「暗黙知」という概念を知った。言語化できないまま身体に刻まれていく経験のことを、そう呼ぶらしい。

りこがずっと感じてきたこと——「このフレーズはもう少し息を吸ってから弾く」とか「ここの和音は指の腹を広げて触れる」とか——は、楽譜には書いていない。先生から言葉で教わったわけでもない。それでも身体は知っている。何千回と繰り返したタッチのなかで、静かに積み重なってきた記録がある。

たとえば、シューベルトの即興曲を弾くとき。最初のフレーズで左手が低音を置く感覚は、「ごろごろ」ではなくて「どっしりとした柿色」に近い。こういう表現を楽理のレポートに書いたら、教授にやさしく赤ペンを入れられた。それでも私は、その感覚を消したいとは思わない。

言語化するのではなく、感じたままを演奏に乗せること。それがりこの、今のところの演奏哲学になりつつあることに気づく。

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季節と身体と、ピアノの対話

先週、実家のアップライトに触れたとき、大学のグランドピアノとまったく違う手ざわりにほっとした。

鍵盤の重さも、ペダルの沈み込みも、音の響き方も全然違う。でも、このアップライトで身体が育ってきたのだと、指が静かに思い出している。ここで季節を何度も越えてきた。春の夕暮れに弾いたあのソナタも、冬の夜中に泣きながら繰り返した和音も、全部この鍵盤の手ざわりとともにある。

身体が季節を知るというのは、そういうことなのだと思う。

頭が理解するよりずっと先に、指先が、皮膚が、身体の芯が「今はこの時間だ」と静かに教えてくれる。ピアノは互いに対話する楽器だと最近よく考えるけれど、もしかしたらそれは季節とも、時間とも、対話しているプロセスなのかもしれない。

今日もまた、言葉より先に手ざわりが記録している。

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