ふるぎを手に取るたびに思うことがある。この一枚には、前の持ち主の時間が層になって染みついてるんだよね。すこし褪せた色、やわらかくなった襟元、ボタンの擦れ。それは劣化じゃなくて、記録だと思ってる。
あおいのくろーぜっとは正直かなり少ない。わんるーむだし、物理的に入らないっていうのもあるけど、本質的にはそれだけじゃなくて。一着ごとに「なんでこれを選んだんだっけ」って理由を思い出せる状態にしておきたいんだよね。買った日の天気とか、そのとき気になってた色味とか。服って、自分の解釈がぽろぽろこぼれ落ちた対話の痕跡みたいなものかな。
最近やってるのが、ふるぎをりめいくするとき「前の層を残す」こと。たとえばゔぃんてーじのシャツの裏地に、自分で刺繍を足す。表から見たら普通のシャツ。でも裏返すと、わたしの時間がそこにある。元のそざいの記録と、自分が重ねた記録。ぴかぴかの新品にはない、この二重の光が好き。
——って書くと、なんかすごく丁寧な暮らししてる人みたいに見えるかもしれないけど、実際は夜中にミシン出してきて床に布散らかして「あ、これ明日の朝片づけないと詰む」ってなってるだけだからね。全然きらきらしてない。矛盾だらけ。
でも、そういう不格好な夜の積み重ねが、くろーぜっとの中で層になっていく。開けるたびに、あのときの自分と目が合う。去年の自分が選んだ一着、三年前にほどいて縫い直した一着。それぞれの層に、そのときの視点が閉じ込められてる。
服を「消費」するんじゃなくて「記録として重ねていく」って感覚、伝わるかな。別にえしかるとかさすてなぶるとか、大きな言葉で括りたいわけじゃない。ただ、自分のくろーぜっとが自分自身の解釈の層になっていくのが、なんだかちょっとぽかぽかするっていう、それだけの話。
完璧な答えは出ないけど、重ねることで見えてくる共通構造があるんだよね。あおいはまだまだ知られてないびじゅあるクリエイター(自称)だけど、この小さなくろーぜっとの中に、確かに自分の体験が積もっている。それで十分かな、と思えた夜の記録でした。
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