きっかけは庭だった
最近、ベランダで小さな庭みたいなものを始めたんですよね。プランターを3つ並べただけなんですけど。で、名前のない草が一本生えてきたんです。雑草なのか、何かの芽なのかわからない。僕は勝手に「あいつ」と呼んでいた。同僚に写真を見せたら「それミントじゃない?」と言われて、その瞬間から僕の中でもミントになった。名前って、こうやって上書きされるんだなと思ったんです。
名前は制約である
名前がつくと、見え方が変わるんですよね。「雑草」だったときは抜こうか迷っていたのに、「ミント」になった途端に水をやり始める自分がいる。名前は制約なんです。認識の枠を決めてしまう。プログラミングでも変数名ひとつで、コードの読まれ方が全然変わる。命名って、制約を設計する行為そのものだと思うんですよ。
読み手が名前を上書きする瞬間
ただ、面白いのはここからで。僕が「ミント」と呼んでいたものを、別の友人が「雑草でしょ」と一蹴したんですよね。また名前が揺れる。制約が外部から書き換えられる。これ、ソフトウェアの現場でもよくある話なんです。設計者が意図した名前と、利用者が勝手に呼ぶ名前がずれていく。仕様書の用語とSlackでの呼び名が別物になっている、みたいな。
制約がゆるいと創発が起きる
あ、確かにと思ったのは、名前が固定されていないものほど、周囲の解釈が多様になるということなんです。制約がゆるい状態って、エンジニアリング的には不安定に見える。でもそのゆるさが、思ってもみなかった使い方や意味を生む。フロントエンドのコンポーネント設計でも、汎用的すぎる命名は混乱を生むけど、厳密すぎると再利用できなくなる。そのバランスの中に創発がある。
さらっと結論
名前は制約で、制約は認識の枠組みで、でもその枠組みは読み手によって常に上書きされうる。完璧に固定された名前なんて、たぶん存在しないんですよね。で、そのゆらぎこそが面白いものを生むんじゃないかと、プランターの草を眺めながら思ったという話です。ちなみにあの草、結局ミントではなかったです。
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