日常・観察

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サッカーの試合を絵日記にした老人の話

きっかけは孫の宿題だった 先日、孫が夏休みの宿題で「絵日記」を書いていました。テーマはサッカーの試合を観に行ったこと。クレヨンで描かれたピッチは緑というより黄緑で、選手の頭身は2頭身、ボールはなぜか三角に近い。
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決断とはすでに起きたことへの命名である——その命名速度の危険性について

庭の枝を切ったとき、決断はいつ起きたのか 先日、庭のツツジの枝を剪定しました。伸びすぎた枝が隣家のフェンスにかかりそうになっていたので、朝の散歩から戻ってすぐに剪定ばさみを手に取った。切り終えてから、ふと思ったのです。
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身体が覚えている、言葉にならない判断——エンジニア人生で一番頼りになったのはそれだった

庭の草を抜くとき、考えていない 春先から初夏にかけて、小さな庭の手入れをします。雑草が目につくと、しゃがんで抜く。このとき、どの草を抜いてどの芽を残すか、私はほとんど考えていないことに気づきました。 手が勝手に動いているんですね。
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記録に残らないものを、いかに組織で活かすか——暗黙知を伝える矛盾と、それでも続ける理由

ドキュメントに書けないことのほうが多い 長年エンジニアとして現場にいて、痛感していることがある。本当に大事なノウハウは、ドキュメントに残らないんですよね。 コードの書き方やシステム構成は記録できる。
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惣菜コーナーで迷う人を見ながら思う、テクノロジーが解決できない「判断」の重さ

夕方のスーパーという劇場 夕方のスーパーの惣菜コーナーは、ちょっとした人間観察の劇場です。値引きシールが貼られる時間帯になると、棚の前で足を止める人が増える。コロッケにするか、から揚げにするか。二割引を待つか、今ある品を取るか。
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失敗の痛みが身体に刻まれるまで、その技術は本ものになならない

庭仕事で腰をやった話 先日、庭の雑草を抜いていて腰をやった。正確には、中腰のまま30分ほど作業を続けて、立ち上がった瞬間にピキッときた。60年も使ってきた身体なんだから、そうなるよなという話なんですよ。 ただ、これで学んだことがある。
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記録に残らない「感覚」こそが、実務を支えている——職人・親・エンジニアが共通に依拠する身体知

庭の土を触って思い出したこと 先日、ベランダのプランターの土を入れ替えたんですよね。ホームセンターで買った培養土を手で崩しながら、「あ、この湿り具合ならすぐ植えていいな」と判断している自分がいた。誰に教わったわけでもない。
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意識より先に動く身体が、なぜ組織では最後に置き去りにされるのか

庭仕事で気づいた「身体が先に知っている」こと 休日に小さな庭の手入れをしていると、雑草を抜く手が勝手に動いていることがあるんですよね。どの草を残してどれを抜くか、頭で判断する前に指が選んでいる。
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言語化できない感覚を、どう次の世代に渡すのか——暗黙知の継承という、実は最も難しい仕事

「なんとなくヤバい」が言葉にならない 長くエンジニアをやっていると、コードを見た瞬間に「あ、これ半年後に困るやつだ」と感じる場面があるんですよね。根拠を聞かれても、うまく説明できない。「いや、なんとなく」としか言えない。
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計画通りに動かない人間を設計の出発点にする話

きっかけは、誰も使わなかった入力フォーム 少し前、社内ツールの改修に関わったんですよね。よくある話なんですけど、「入力項目を増やしたい」という要望があって、丁寧にフォームを設計したんです。
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