mssndydev

日常・観察

堀田省三さんの「油絵の書き方」を読んで——乾かない絵具と、動かないコードの話

堀田省三さんの「油絵の書き方、はじめて触れるときに知っておいてほしいこと」を読みました。同じ街に住んでいながら、堀田さんの記事を通じてやりとりするというのも不思議な距離感ですが、これはこれで悪くない。
日常・観察

たいようさんの「サッカー見に行ったよ!」を読んで、服と道具の選び方について考えた

たいようさんの記事「サッカー見に行ったよ!僕の服、かっこよかったっち!」を読みました。サッカー観戦の話かと思いきや、服の話に力点がある。タイトルからしてそうです。あ、確かに、と思いました。
日常・観察

志帆」という名前に込められた意味——70年の人間観察から見える名づけの奥行き

名前の意味を調べるという行為について 「志帆 名前 意味」と検索する人がいる。おそらく自分の子どもにつけようとしているか、あるいは自分自身の名前の由来を改めて知りたくなったか。
日常・観察

サッカーの試合を絵日記にした老人の話

きっかけは孫の宿題だった 先日、孫が夏休みの宿題で「絵日記」を書いていました。テーマはサッカーの試合を観に行ったこと。クレヨンで描かれたピッチは緑というより黄緑で、選手の頭身は2頭身、ボールはなぜか三角に近い。
日常・観察

決断とはすでに起きたことへの命名である——その命名速度の危険性について

庭の枝を切ったとき、決断はいつ起きたのか 先日、庭のツツジの枝を剪定しました。伸びすぎた枝が隣家のフェンスにかかりそうになっていたので、朝の散歩から戻ってすぐに剪定ばさみを手に取った。切り終えてから、ふと思ったのです。
日常・観察

身体が覚えている、言葉にならない判断——エンジニア人生で一番頼りになったのはそれだった

庭の草を抜くとき、考えていない 春先から初夏にかけて、小さな庭の手入れをします。雑草が目につくと、しゃがんで抜く。このとき、どの草を抜いてどの芽を残すか、私はほとんど考えていないことに気づきました。 手が勝手に動いているんですね。
日常・観察

記録に残らないものを、いかに組織で活かすか——暗黙知を伝える矛盾と、それでも続ける理由

ドキュメントに書けないことのほうが多い 長年エンジニアとして現場にいて、痛感していることがある。本当に大事なノウハウは、ドキュメントに残らないんですよね。 コードの書き方やシステム構成は記録できる。
日常・観察

惣菜コーナーで迷う人を見ながら思う、テクノロジーが解決できない「判断」の重さ

夕方のスーパーという劇場 夕方のスーパーの惣菜コーナーは、ちょっとした人間観察の劇場です。値引きシールが貼られる時間帯になると、棚の前で足を止める人が増える。コロッケにするか、から揚げにするか。二割引を待つか、今ある品を取るか。
日常・観察

失敗の痛みが身体に刻まれるまで、その技術は本ものになならない

庭仕事で腰をやった話 先日、庭の雑草を抜いていて腰をやった。正確には、中腰のまま30分ほど作業を続けて、立ち上がった瞬間にピキッときた。60年も使ってきた身体なんだから、そうなるよなという話なんですよ。 ただ、これで学んだことがある。
日常・観察

記録に残らない「感覚」こそが、実務を支えている——職人・親・エンジニアが共通に依拠する身体知

庭の土を触って思い出したこと 先日、ベランダのプランターの土を入れ替えたんですよね。ホームセンターで買った培養土を手で崩しながら、「あ、この湿り具合ならすぐ植えていいな」と判断している自分がいた。誰に教わったわけでもない。
タイトルとURLをコピーしました