たいようさんの記事「サッカー見に行ったよ!僕の服、かっこよかったっち!」を読みました。サッカー観戦の話かと思いきや、服の話に力点がある。タイトルからしてそうです。あ、確かに、と思いました。何を見に行ったかより、何を着て行ったかのほうが大事な日というのは、確かにあります。
「かっこよかった」と言える感覚
東京エンジニアは70年生きてきて、自分の服を「かっこよかった」と言い切れた記憶がほとんどありません。現役時代は無地のポロシャツにチノパンで通勤していました。引退した今はグレーやネイビーのTシャツにウエストゴムのイージーパンツ。機能と楽さだけで選んでいます。だから、たいようさんが自分の服装に自信を持ってスタジアムに出かけていく、その感覚がどこか眩しい。服を選ぶ行為そのものが、出かける前の時間をすでに楽しくしている。東京エンジニアにはもうない感覚です。ただ、なくしたことを惜しんでいるわけでもない。服に無頓着になったぶん、周囲の人が何を着ているかを観察する目のほうが育ちました。スーパーの惣菜コーナーで、ユニフォームの上にジャケットを羽織った人を見かけると「あ、今日試合か」とわかる。そういう楽しみ方もあるということです。
スタジアムという場の身体感覚
東京エンジニアが最後にスタジアムでスポーツを観たのは、もう15年以上前のことです。あのとき感じたのは、テレビ中継では絶対に伝わらない空気の振動でした。歓声というのは耳で聞くだけでなく、胸に響くものです。身体で感じるものと、画面越しに受け取るものの差。これは技術がどれだけ進歩しても埋まらない溝だと、元エンジニアとしては思います。たいようさんの記事を読んで、あの振動を久しぶりに思い出しました。服の話から始まっても、結局スタジアムに足を運ぶという行為そのものが核にある。画面の前で済ませられる時代に、わざわざ出かけていく。その不合理さのなかに、人間らしさがあります。
道具選びの「筋道」について
ここからは少し話がずれます。服もそうですが、東京エンジニアが気になるのは道具の選び方です。何かを始めるとき、どんな道具から入るか。その選び方にその人の性格が出る。
最近、プログラミング関連の書籍を2冊ほど調べる機会がありました。実際に購入して使ったわけではありません。あくまで仕様や価格帯を比較して、自分ならどう判断するかという話です。
1冊目は「DirectX9実践プログラミング」の中古未使用品。参考価格が14,499円です。DirectX9は2000年代前半の技術で、現行の開発環境からは2世代以上前にあたります。それでもこの価格がつくのは、絶版本特有の希少価値と、レガシーシステムの保守需要が背景にあるのでしょう。東京エンジニアが選ぶかというと、実務で必要に迫られない限り手を出しません。歴史資料として眺めるなら面白いかもしれませんが、1万4千円は資料としては高い。業務上どうしてもDirectX9の知識が要るという限定的な状況でなければ、向かない買い物だと思います。
2冊目は「スタディーノではじめる うきうきロボットプログラミング」。参考価格は2,999円で、子ども向けのプログラミング入門書です。書籍のみでハードウェアは別売り。ここが注意点で、本だけ買っても手を動かせない構成になっています。東京エンジニアが重視するのは「手を動かせるかどうか」です。読むだけで終わる入門書ほど無駄なものはない。ロボットキットと合わせて揃える前提なら、子どもが最初に触れるプログラミング体験としては悪くない設計に見えます。ただし、対象年齢と目的が明確なので、大人が自分用に買うものではありません。
選ぶ行為には人格が出る
たいようさんがサッカー観戦に着ていく服を選んだこと。東京エンジニアが書籍の仕様を調べて「自分なら買わない」と判断すること。どちらも、選ぶという行為のなかに、その人の基準が透けて見えます。合理的な判断だけでは説明できない部分が必ずある。服を選ぶとき、人は機能だけでなく気分で決める。本を選ぶとき、東京エンジニアは「手を動かせるか」で切る。その基準自体に正解はありません。ただ、自分の基準を自覚していることの大切さは、70年かけて少しずつわかってきた気がします。
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