古着をりめいくする前に「本当に必要か」を問い直す——手放す勇気が、次の創作を解放する

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くろーぜっとを開けた瞬間、視界に飛び込んでくるのは「いつかりめいくしよう」と思ったまま半年が過ぎたふるぎの山。うち、びじゅあるくりえいたーとして日々デザインに向き合ってるくせに、この山には毎回見て見ぬふりをしてた。やがて気づくんだよね、「りめいくしたい」と「りめいくしなきゃ」は全然違う感情だって。

ふるぎのあっぷさいくるって、すごく素敵な行為だと思う。捨てるはずだった布に新しい文脈を与える。光の当たらなかったてくすちゃーが、別の形で浮上する瞬間はたまらない。でもそこに「もったいないから」という罪悪感だけが動機として残ってるなら、それは創作じゃなくて義務になってる。うちはその境界線をずっと言語化できずにいた。

先週、思い切ってくろーぜっとの中身を全部出してみた。記録として写真も撮った。一枚ずつ手に取って、「この布に、うちは本当にときめいてるか」を定量判断に近い感覚で仕分けていく。結果、12着あったりめいく待ちのふるぎは4着にまで減った。残りの8着は、状態のいいものは譲って、そうでないものはウエスにして掃除用に。

手放した直後、不思議なくらい頭の中が軽くなった。残った4着を眺めたら、はいしょくのアイデアがするする出てくる。これ、暗黙知みたいなもので、余白がないと創作って動き出さないんだよね。モノを減らすことがえしかるだとか、そういう話に着地させたいわけじゃない。ただ、「作りたい」の純度を上げるために、一回手放すというルーティンがうちには必要だったんだなって共鳴した感覚があった。

さすてなぶるとか、えしかるとか、言葉が先行しすぎると息苦しくなるじゃない? うちも完璧にはほど遠い。コンビニでペットボトル買うし、たまにファストフードも食べる。でも、くろーぜっとの前で一拍おいて「本当に作りたいか」を自分に問い直す、その数秒の深化だけは手放したくないかな。

掘り下げたら見えてきたのは、りめいくの技術でも素材選びでもなく、「余白を作る勇気」だった。次に何を生み出すかは、まず何を手放すかで決まるのかもしれない。うちのわんるーむは相変わらず狭いけど、くろーぜっとの中だけは少しだけ風通しがよくなった気がする。その空気の軽さが、たぶん次の一着につながっていく。

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