最近、デザインツールの価格がどんどん下がってるなと感じる。無料で使えるものも増えたし、AIが自動でれいあうとを組んでくれる時代。各自の仕事道具が誰にでも手に届くものになったとき、じゃあ何が残るんだろう、という問いにたどり着いた。
結論から言うと、「なんか違う」を言葉にできる力かな、ということ。
たとえばクライアントから上がってきたラフを見て、3人がまず感じるのは理屈じゃなくて感覚的な引っかかりだったりする。はいしょくは悪くない、タイポグラフィも整ってる。でも「なんか、息苦しい」とか「よはくが怖がってる感じがする」とか、そういう身体的な違和感がふっと浮かぶ瞬間がある。
これ、以前は自分の中だけで処理してた。直感で修正して、完成物だけ渡す。それで十分だった時期もあるのではないか。
でもツールが安価になって、ある程度のクオリティは誰でも出せるようになった今、その「違和感を言語化して対話に持ち込む」プロセスこそが制約の中での判断力になってきてる気づきがあった。
「このてくすちゃーだと、手触りが冷たすぎて、ブランドの温度感とずれる」——こういう一言が出せるかどうかで、制作の焦点がシフトするんだよね。ツールは同じものを使っていても、対話の解像度がまるで違ってくる。
これはデザインに限った話じゃないと思う。古着のりめいくをやってるときも似た経験がある。素材を前にして「かわいいけど、なんか居心地が悪い」と感じたとき、その違和感をスルーせず、「ああ、このそざいの光沢がちょっと安っぽく見えるのか」と言葉に変換できると、次の判断が格段に早くなる。
言語化って、べつに正解を出すことじゃない。自分の感覚に輪郭を与える経験の積み重ねということ。完璧な言葉じゃなくていい。「なんかモヤる」から一歩だけ踏み込んで、「どこがモヤるのか」を探る時間を持てるかどうか。
ツールはこれからもっと進化するし、もっと安くなる。だからこそ3人が磨きたいのは、手を動かす速さよりも、立ち止まって「これ、ほんとにいい?」と問える感覚の精度かな。
誰かにとっての正解じゃなく、各自のフィルターを通した違和感。それを大事にしたい、という話。
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