堀田省三さんの「油絵の書き方、はじめて触れるときに知っておいてほしいこと」を読みました。同じ街に住んでいながら、堀田さんの記事を通じてやりとりするというのも不思議な距離感ですが、これはこれで悪くない。読んでいて、ひとつ強く引っかかった箇所があったので、そこから書いてみます。
「乾くのを待つ」という工程への共感
堀田さんの記事で印象に残ったのは、油絵には「乾くのを待つ時間」があるという話です。あ、確かに。水彩やアクリルと違って、油絵具は乾燥に数日かかることがある。初心者がまず戸惑うのはそこだ、と。
私は油絵を描いたことがありません。ただ、この「待つ工程」という概念には、身体的に覚えがあります。現役時代、システムを設計して実装して、それを本番環境にデプロイした後の時間。コードは動いているけれど、本当に問題ないかどうかは、しばらく動かしてみないとわからない。ログを眺めながら、手を出さずに待つ。あの感覚と、どこか似ているのではないかと思いました。
待つことは、何もしていないのとは違います。待っている間に目が変わる。昨日は気にならなかった部分が、今日は妙に引っかかる。堀田さんが書いている「乾いてから見ると印象が変わる」というのは、まさにそういうことへの気づきだと受け取りました。
道具の話が「入口」になること
記事の中で、筆やパレットナイフ、溶き油の種類について丁寧に触れられていました。初心者向けに書かれているので当然ですが、私が面白いと感じたのは、道具の説明を通じて「油絵とはこういう性質のものだ」という全体像が浮かび上がってくる構成です。
エンジニアリングの世界でも、初心者に「まず何を揃えるか」を教える場面は多い。テキストエディタはどれがいいか、ローカル環境はどう整えるか。ところが道具の選び方だけ教えても、その道具が何のためにあるのかが伝わらなければ、結局使いこなせない。堀田さんの記事は、溶き油ひとつにしても「なぜそれが必要なのか」を書いてくれている。この順序は、分野が違っても通じるものがあります。
私が若い人にプログラミングの話をするとき、つい「概念から入る」癖がありました。抽象的な設計思想を先に語ってしまう。でも実際には、手を動かして道具に触れてから概念に至る方が、身体知として残ります。堀田さんの記事は、その順序を自然にやっている。
「正解がない」と言い切れるかどうか
もうひとつ気になったのは、記事の中で「こうしなければならない、というルールは少ない」という趣旨のことが書かれていた点です。
これは、言い切るのに勇気がいる言葉です。教える側は、つい「正しいやり方」を提示したくなる。そのほうが教わる側も安心するし、教える側も楽だからです。でも「正解は少ない、自分で試してほしい」と言うのは、相手を信頼していないとできない。
私も現役時代、後輩に「この設計が正解だ」と言いたい場面は山ほどありました。実際、経験上ほぼ間違いなくそうだと確信していることもあった。でも、言い切った瞬間に相手の試行錯誤の余地を奪ってしまうという共通認識に辿り着き、途中から「自分ならこうするけど」という言い方に変えました。70年生きてきて、正解の押し売りほど退屈なものはないと感じています。
手を動かす人同士の、静かな敬意
堀田さんの記事を読んで改めて思ったのは、油絵もプログラミングも料理も、結局は「手を動かして、素材の反応を見る」という点で同じ構造を持っているということです。絵具の乗り方、コードの挙動、鍋の中の火の通り方。どれも頭で考えただけでは掴めない。手と目と時間を使って、少しずつ感覚を言語化していく過程がある。
私は毎日台所に立ちますが、煮物の味が決まる瞬間は、レシピ通りにやったかどうかではなく、蓋を開けたときの湯気の匂いと色で判断しています。たぶん堀田さんも、キャンバスの前で似たような身体反応をしているのではないかと想像します——が、これは私の勝手な類推であって、実際のところは堀田さんにしかわかりません。
自分の手で何かを作り続けている人の文章には、独特の手触りがあります。それは読めばわかる。堀田さんの記事には、その手触りがありました。
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