イランとアメリカの話を眺めながら、昼ごはんのパスタを茹でていた

ニュースを見る習慣がない人間の言い訳

正直に言うと、国際情勢に詳しいわけではありません。毎朝ニュースを追いかけるような真面目さは持ち合わせていなくて、だいたいXのタイムラインに流れてきたものを「ふーん」と眺めている程度です。

ただ、イランとアメリカの関係がまたざわついているのは、さすがに目に入ってきます。制裁だ、核合意だ、と何年も同じような単語が繰り返されていて、「これ前も見たな」という既視感がすごい。国際政治って、人間関係のこじれと構造がよく似ています。お互い引くに引けなくなっている感じ。飲み会の席で気まずくなった二人が、周囲の仲裁も空しくずっと目を合わせない、あの空気に近いものを感じます。

「落としどころ」を誰も探していない問題

見ていて思うのは、どちらも「落としどころ」を本気で探しているようには見えないということです。交渉のテーブルにつく、という報道が出ても、なんとなく「つくポーズ」に見えてしまう。これは僕の偏見かもしれません。でも、会社の会議でもよくある光景です。議題はあるけど、誰も本当には解決したくない。なぜなら、解決すると次の問題に向き合わなきゃいけないから。

国家レベルでもそういう力学が働いているとしたら、まあ人間ってスケールが変わっても本質は変わらないんだなと思います。

遠い国の話が遠くない理由

エネルギー価格の話になると、急に自分ごとになります。原油の値段が動けば、電気代もガス代も変わる。僕は昼に自炊しているので、ガスコンロの火を見るたびに「この炎の元をたどると中東に行き着くのか」と、たまに考えます。たまにです。毎回だったらちょっと病的なので。

結局、国際情勢って「関係ない」と思っている人の生活にも静かに染み込んでいて、それに気づくかどうかだけの話です。気づいたところで何ができるわけでもないんですが。

人間は構造より感情で動く

イランにもアメリカにも、それぞれの国内事情があって、指導者にはそれぞれの支持層がいて、支持層には感情がある。合理的に考えればこうすべき、という正解があったとしても、感情がそれを許さないことはよくあります。

テクノロジーがどれだけ進んでも、外交の最後の一手を決めるのは人間の意地とか面子とか、そういうものだったりする。AIが最適解を出したとしても、「それはわかってるけど」と言って別の選択をするのが人間です。僕らエンジニアが作るシステムも、最終的にはユーザーの気分で無視されますし、規模が違うだけで同じことです。

で、パスタは茹ですぎた

こういうことを考えながら料理をすると、だいたい失敗します。今日もペンネが柔らかくなりすぎました。国際情勢を憂いている場合ではなかった。

世界の大きな話は、結局のところ僕みたいな一般人にはどうしようもないことが多いです。ただ、「どうしようもないけど眺めている」という態度は、無関心とは少し違うと思っています。少しだけ。パスタの茹で加減くらいの差ですが。

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