先月、うちの公民館で「赤ちゃんふれあい講座」をやったんだよ。中学生が乳児と触れ合う、あの体験型の授業だ。市内の中学校と連携して、もう6年目になる。
俺が現場で見てきた限りじゃ、この講座は毎回、想像を超える瞬間が起きる。今回もそうだった。
普段は教室で斜に構えてる男子生徒がいてさ。最初は「別に」って顔で座ってたんだよな。ところが、お母さんに促されて赤ちゃんを抱いた途端、表情が変わった。目が泳いで、肩がこわばって、それから——ふっと力が抜けた。赤ちゃんの体温が腕に伝わった瞬間だったと思う。あの子は何も言わなかったけど、身体がもう記憶してたんだよな。
うーん、これをどう説明すればいいのか、俺もまだうまく言葉にできない。ただ、「命の重さを学びましょう」なんて教科書的な目標では掬いきれないものが、あの数秒にはあった。言語化される前に、身体のほうが先に反応する。そういう学びがあるんだよ。
社会教育法第22条は、公民館の事業として「実生活に即する教育」を掲げている。俺はこの「実生活に即する」の核心が、まさにここにあると思っている。テキストを読むんじゃない。身体ごと、その場に居合わせることなんだよな。
まあ、それはそうなんだけどさ、現実は厳しい。講座の予算は年々削られてる。お母さん方のボランティア確保も簡単じゃない。保険の手続きひとつとっても、担当者ひとりじゃ回らない。公民館の非常勤職員なんて、俺みたいな退職組が細々とやってるのが実情だ。
それでも続けてるのは、あの場でしか起きない対話があるからだよ。中学生とお母さんが、赤ちゃんを真ん中にして自然と言葉を交わす。世代の違う人間が同じ空間で、同じ柔らかさに触れる。これは学校だけでも、家庭だけでもつくれない。公民館という「あいだ」の場所だから成り立つんだよな。
俺が記録をつけ始めて6年分のノートが溜まった。生徒の感想文、お母さんのアンケート、スタッフの振り返りメモ。派手な成果じゃない。でも、丁寧に積み上げた記録は、次の担当者への引き継ぎになる。この講座が俺ひとりの属人的なものにならないように、仕組みとして残すことが大事なんだよ。
失敗もあった。段取りが悪くて赤ちゃんが泣き止まなかった年もある。しょうがねえな、と笑いながら反省会をやった。でもその失敗の共有こそが、翌年の講座を良くしてきた。
地味な話だよ。誰にも届かないかもしれない。でも、あの男子生徒の腕の中で赤ちゃんが眠ったあの数秒を、俺は確かに見た。それだけで十分だと思ってる。
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