「描く」と「塗る」のあいだにあるもの
ずっとグラフィックの仕事をしてきたから、画面上で色を扱うことには慣れていたはずなんだよね。でも油絵って、まるで別の生きものみたいで。絵の具をパレットナイフで混ぜたときの、あのねっとりした抵抗感。身体が先に知る、というのはこういうことなのかもしれない。
きっかけは、よこはまの元町あたりを散歩していたとき、小さな画材店のショーウィンドウに並んでいた油絵の具のチューブだった。カドミウムイエローとかバーントシェンナとか、名前を読むだけで色が匂い立つような感覚。ああ、これは触りたい、と思った。「描きたい」じゃなくて「触りたい」が先に来たのが、自分でもおもしろかった。
油絵のはじめ方、調べるとけっこう情報が多い。でもぐちゃぐちゃな一回性というか、実際に手を動かしてみないとわからないことだらけで。だからここでは、わたしが実際につまずいたり迷ったりしたプロセスを言語化してみようと思う。
最初に揃えたもの——「ちょっとだけ」でいい
画材店で相談したら、初心者セットを勧められた。でも、正直セットって「本当に要る?」というものも混じっていることがある。わたしが最初に買ったのはこれだけ。
絵の具は6色。白、黒、赤、青、黄、それと茶系を1本。そざいの層状な重なりを楽しみたかったから、まずは限られた色で混色を試すところから入った。筆は丸筆と平筆を2本ずつ。キャンバスはF4サイズ、A4より少し大きいくらいのもの。あとはペインティングオイルと筆洗器。揮発性のオイルは換気が大事で、これは本当に気をつけたほうがいい。
全部合わせて5,000円くらいだったかな。ふるぎのりめいくで端材を買うときと同じで、「最初は小さく、試してから広げる」が鉄則だと思ってる。高い道具を揃えて満足して終わる、というのがいちばんもったいないパターンだよね。
描いてみて気づいたこと
油絵の具は乾くのが遅い。これが最初、ものすごくもどかしかった。デジタルの仕事に慣れていると、Command+Zで戻せない世界が怖い。でも、乾かないからこそ、翌日になっても色を動かせる。昨日の自分と今日の自分が、ひとつの画面の上で対話しているような不思議な感覚がある。
わたしは風景を描こうとしたんだけど、最初の一枚はまあ、ひどいものだった。でもそこに立ち会う覚悟みたいなものが、油絵にはあるなと思った。失敗を塗り重ねていけるから。アクリルや水彩とはまったく違う時間の流れ方をする。
指先にずっと絵の具の匂いが残っていて、夜、本を読んでいるときにふと「ああ、今日わたし描いたんだ」と思い出す。その記憶の残り方が、なんだかとてもいい。
まだ途中でいられること。それが油絵のいちばんの魅力なのかもしれない。うまくなることが目的じゃなくて、そざいと自分の身体のあいだで何が起きるかを観察する時間。70年生きてきて、こういう新しい感覚に出会えることの意味を、静かに噛みしめている。
はじめるのに遅いことなんてない、とは言わない。膝は痛いし、細かい作業で目も疲れる。でも、「やってみたい」が先に来たなら、それはもう充分な理由だと思うんだよね。小さなキャンバス一枚と、6色の絵の具から。各自のペースで、ゆっくり。
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